• 9月 21, 2026

手術を愛した外科医がたどり着いた場所―大学ではなくクリニックでFESSを続ける理由―

令和8年9月19日 近畿脊髄外科研究会

今回、近畿脊髄外科研究会で講演する機会をくださったのは上田茂雄先生でした。

思えば、平成30年、奈良での日本脊髄外科学会でハンズオンセミナーの講師に呼んでくださったのも上田先生でした。

五百蔵先生を紹介してくれたのも、やはり上田茂雄先生。今は信愛会脊椎脊髄センター長です。

上田先生との出会いは15年くらい前だろうか。椎弓形成の幅の設定に、どの解剖学的メルクマールを使うのか、という発表だったと思います。トライアスロンをされるとか。今も男前ですが、その時も引き締まった男前でしたね。目つき、声、ものごし、すべて完璧な人っていますね。「感動しました」と率直に話しかけに行き、以来の関係です。年はほとんど同じか、1個下。

あいちせぼね病院で勤務し、一方で開業準備しているとき、滋賀といえば上田先生だ、と思って電話をしました。元々、五百蔵先生と同じ大津市民病院に勤務しておられました。電話では、すぐに「良い人いるよ、紹介する」と言ってくれました。

少し後の学会で五百蔵先生を紹介していただきました。その後の五百蔵先生の活躍は周知のとおり。

今回は、「先生、局麻日帰りでFESSやってるでしょ。その話してよ」とお声がけいただきました。

私はびっくりして、少し考えました。というのも、最近は局麻ではなく全身麻酔で行っているからです。そのことをお伝えし、さらに「以前のように毎回学会に参加して、議論し、勉強会をして、最先端を極めていた時と違って、今は限られた手術のみに絞って、独自に工夫してやっている。80代の患者さんでも、日帰りができている。こんな感じだけど、良い? 開業の苦労話はたっぷりできるよ」とお返事。

「OK 先生の好きに喋って」という事に。

ありがとう。じゃあ頑張って、味のある話をしよう。

実際喋ったことから大分削って、少し足して、コラム用にしました。1時間の講演内容です。

研究会では自分語りは最小限にしました。コラムでは、作ったものの当日は出さなかった「自分語り」のスライドも少し出します。一方、手術動画は省きます。当日提示した症例は、実はすべてYouTubeに上げている症例です。

中学生、高校生の時に人の役に立ちたく、思春期の子たちの悩みを解決する精神科医、国境なき医師団に憧れました。その後も、人を救うヒーローに憧れました。下の図は今の私の写真からチャッピーが想像する学生時代の私ですが、これは全然似ていない。

医学部の研修では、尾鷲市民病院内科1か月泊まり込み研修で、夜中の心臓カテーテル治療が非常に印象的でした。みんなが患者さんの周りに集まって、モニターに注目する。うまくいって安堵。

「すごい、これだ」

と思ったのを覚えています。みんなで一つのこと、というのが良かった。チームだ、共同体だ。

医師になってからは、脳卒中、外傷、救急医療を中心に働き、医師としての基礎を学びました。専門分野を選ぶときに「人の喜びにかかわりたい、人が求めて来てくれるようなことをしたい」と思いました。

脳卒中、救急医療では、たまたま搬送されてきた患者さんを診ていましたし、そもそも脳卒中では、治療しても発病前より良くなる、ということは基本的にはありません。三重県で全国レベルの脊椎治療をしている病院があり、そこでの勤務を希望しました。

しかし、実際に勤務してみると、どうも師匠とはうまくいきませんでした。果ては師匠が辞めてしまい、手術がなくなりました。下の絵が変なのは、私が言葉でその師匠の姿を再現したら、あまりにもそっくりにできてしまい、載せるのが忍びなくて加工しました。以前もそういう事があった。チャッピーはやはりすごい。

当時の私が考えたのは、人に依存する働き方はいかん、という事。手術も治療も、周りのスタッフを巻き込んでガンガンやるのは良いけど、自分が先輩医師の機嫌や顔色を見ながらやらなければいけないのは、なんだかなあ、と。実際に固定術など、全て一人で、看護師さん相手にやっている脳神経外科医もいます。そのことを知ったのはずーっと後でした。内視鏡なら一人でできるし、何千万もする、でかい顕微鏡が要らない。でも内視鏡やっている人は三重県ではいないし、そもそも自分は、脳はある程度触れるけど、脊椎は執刀したことないし。身動きとれん。

その病院の勤務を1年くらいしてから、脊椎をやっている三重県の大きな病院に行けましたが、脊椎の執刀は全く回ってきません。上司は、脊椎の手術を結構やっていましたが、「最初の方、できるところまでやってみるか」という人ではなかったんですね。執刀しないとわからない事ってたくさんというか、ほとんどなので、不満というか、将来への不安がありました。脊髄外科学会認定医を取った後、大学の教授からお呼びがかかりました。脊椎を大学でやりなさい、と。普通は喜ぶのかもしれませんが、大学では教えてくれる人がいないのです。脳腫瘍担当の何でもできる先生が、当時の三重県で行われていたやり方で手術しているのみ。自分にはまだ足りないものがある。腰椎固定術も、神経根ブロックも、脊椎外科医として日本で標準的に行われている治療を、きちんと学んでおきたかった。忙しさに眠っていたそういう欲求が、お呼びがかかってからむくむく出てきてしまったのです。ターゲットは論文がたくさん出る藤枝平成記念病院。見学に行くと、三重大卒の南先生がいて、「半年いれば執刀させてくれるかも。」

何とか藤枝で研修することができました。以後は大学でも7年間を過ごしましたが、内心は「将来どうすんの」といつも不安でした。とにかく老害になりたくないんです。機器の購入にも関わっていたのですが、症例数の多くないヘルニア手術のためだけに、高価な内視鏡スコープを買ってもらうのは難しいと考えました。もう少しねばればよかったかも。昨日、業者に聞いたら、三重大学でも最近、内視鏡を買ってもらったみたいです。良かった。

整形の脊椎と比べて、脳外科の脊椎が明らかにリードしているところが見つからなかったんです。そこで、低侵襲を極めるとなると、顕微鏡では飽き足らず、内視鏡にしないとダメだ、と思いました。

あいちせぼね病院では、何回も見学には来ていましたが、実際に内視鏡を触ると何にもできません。患者さんもよくなりません。3か月で辞めたくなりましたが、MEDのマエストロが赴任してきてくれて、救われました。

開業したのは、やはり好きなだけ手術をしていたいからでした。ご存知。近江八幡は8万人の町ですが、そこで昨年は373例の手術を行いました。

今年は減っているように見えますが、手術は今でも3か月待ちです。今年から多椎間手術も行うようになったので、1例あたりの手術時間が長くなり、自然と1日にできる手術数が減りました。昨年は1日5例の日がありましたから。

五百蔵先生の手術を除いた、私のみの手術数は4年弱で839例です。

私自身のモットーは「被害者意識で働くな」です。特に辛い状況、面倒くさい状況、何かを振り切らなければ状況を変えられないときに思い出します。環境が悪い。上司が悪い。大学が悪い。制度が悪い。もちろん本当にそういうこともあるかもしれません。でも、それを言い続けながら働く自分にはなりたくありません。せっかく医師免許まで取ったのに、被害者意識で働いたら、努力してきた自分に、そして先祖に申し訳ない。

クリニック運営で考えるのは、経済的に安定化させる事だけではなく、月並みですが、人類に、日本人に、そして地域に役に立って嬉しいなあ、という気持ちを基準に考えるという事です。共同体感覚です。

全くもうからないとわかっている検査、手術をしなければいけないときがあります。でも、収支は合わないが、共同体にいい事なら、良いかなあ、と思ってやっています。いつか何とかなるだろう。吉田松陰だって、中村哲先生だって、日本のために、困っている人たちのために尽くした。そこまで大げさな話ではないけれど、方向としてはそれでいいんじゃないかと思っています。

そして、なんだかよくわからんけど、うふっと笑えてくるような、そんな雰囲気がクリニック全体に流れていたらいいなあ、と思っています。

これって、私に余裕があるからできる事。良く寝て、おいしいものを食べて、楽しく、楽観的に考える。そういう余裕があってこそできる事。こんな考え方ができるようになったのは、開業してもうすぐ4年になる中で、少し自信がついてきたからなのでしょうか。

竹島先生は藤枝平成で少し一緒に働きましたが、ウルトラ優秀で、スマートで、みんなが好きになってしまうタイプ。今日の発表では、さすが大学人、という感じの立派な1時間の講義がありました。学会中も握手したりしましたが、学会終了後に「写真を撮りましょう」と、来てくれました。嬉しかった。

私の左には信愛会の寳子丸院長。「FESS、いいやん」って。真ん中の大阪大学の佐々木先生には本当に長年お世話になっています。「俺らがけんかするくらい議論せなあかん。見せなあかん。それで若い奴らがいろいろ考えるようにもっていかなあかん。先生も関西人になったんやから、頼むね」って、嬉しいやん。その左は京都木原病院の西岡先生。席が隣だったのもあり、たくさん喋れました。楽しかった。一番左は、ご存知、五百蔵先生。会の中心でしたね。

「憧れと崩壊」の病院の時から、つまり20年来の付き合いになる陰山先生から、「なんでそんなにいろんな病院に学びに行ったりできるの」と質問を受けました。

自分では、その時の自分に一番必要な栄養素を十分に与える。最低限の義理は果たす。その上で次へ行く。そんなふうに考えて行動してきたので、あまり迷うところはなかったんです。

しかし、改めて聞かれると、確かにそうやなあ、と。教授をはじめ、大学の先生たちには不義理もしています。

陰山先生には、私にはない義理堅さがあります。だから、陰山先生はあの師匠ともすごくうまくやれたんだと思う。私はダメでした。人に自分を預ける前に、「自分はどうしたいのか」を考えてしまうんです。

中部脊髄外科ワークショップから離れてしまったので、近畿脊髄外科研究会に参加できたのは、嬉しく、楽しかった。上田先生も五百蔵先生もいる。クリニックには整形の先生が外来してくれるようになったので、今後はどんどん研究会に参加していこうと思いました。大学ではなくクリニックを選んだけれど、脊髄外科の仲間から離れたかったわけではないんだな、と改めて思いました。

お疲れ様会は、一人でずんどう屋。はじめて行きました。チキン野郎は閉まっていたからね。

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