• 6月 27, 2026

一生、手術をしていたい

先日、翌日に難しい手術を控えた夜のこと。落ち着かず、眠りも浅い。

誰かに責められ、言い返している夢。朝4時過ぎ、完全に目が覚めました。

「ああ、良いじゃん。良いうなされ方じゃん。ちゃんと集中してる。」

笑ってしまいました。昔からそう。

大学病院でも、あいちせぼね病院でも、難しい手術の最中には、つぶやいていました。「よし、頑張れ。」「よし、集中しろ。」

骨をほんの0.1 mm削った先には硬膜があります。そのすぐ向こうには神経があります。

一瞬の判断が患者さんの人生を左右します。緊張しないわけがありません。

それでも私は、不思議とまた手術がしたくなるのです。


脊椎手術の研修をした藤枝平成記念病院で忘れられない言葉を聞きました。

高橋敏行先生がおっしゃいました。

「海外の脊椎外科医と話すとき、”Fujieda Heisei Memorial Hospital”と言っても、反応は薄い。でも、たとえ若い先生でも”○○ University”と言えば、それだけで一目置かれる。」

大学というブランドの重みを教えていただいた一言でした。当時は、「そんなものなのか」と思って聞いていました。でも今になって思います。私が本当に欲しかったのは、肩書きではありませんでした。「技術で評価される外科医になりたい。」ただ、それだけ。


私は市中病院、脊椎センター、大学病院で勤務し、その後、内視鏡脊椎手術を専門とする病院で研修しました。開業した今でも、「なぜ大学を辞めたのですか?」と聞かれます。

理由は、とても単純です。手術が好きだったから。

勤務医として経験を積めば積むほど、立場は変わります。若い頃は自分が執刀します。

やがて後輩を育てる立場になります。部長になれば、会議や管理業務、人事など、大切な仕事が増えていきます。それは病院にとって必要なことです。

大学には教育という大きな使命があります。私自身、多くの先生方に育ててもらいました。だから、その文化を否定するつもりはまったくありません。

それでも頭に、心に鳴り響く言葉がありました、「本当にやりたいことは何だろう。」

答えは、ずっと変わりません、私は、一生手術をしていたい。


だから私は、もう一度修業に出ました。MEDを学び、さらにFESSへ。

もっと低侵襲に。もっと安全に。もっと患者さんに優しく。

技術を追い求める毎日は、楽しい時間でした。その延長線上に、開業という選択がありました。開業そのものが夢だったわけではありません。一生手術を続けるために、自分にはその道が必要だったのです。


勤務医という人生があります。大学で教育に携わる人生があります。地域医療を支える人生があります。そして、私のように借金も責任も自分で背負いながら、手術を続ける人生もあります。どれが正解ということではありません。正解は、一つではないと思っています。


若い先生方と話していると、「どんな外科医になればいいのでしょう。」そんな相談を受けることがあります。

私も30代の頃、「外科医として、この先どう生きるのか」という閉塞感を抱えていました。私の経験で一つだけ伝えるとすれば、こうです。

肩書きより、自分が一番幸せになれる時間を大切にしてください。

研究でしょうか。教育でしょうか。外来でしょうか。それとも余暇でしょうか。

どれも立派な道です。でも、もし「手術が好き」という気持ちがあるなら、その気持ちを大事にしてほしいと思います。


私は53歳になりました。

それでも、週明けの一例目は今でも緊張します。手術前には何度もトイレへ行きます。

前日はよく眠れないこともあります。でも、その緊張の中に、少しだけワクワクがあります。

「今日は昨日より少しだけ上手くなれるかもしれない。」この気持ちは、研修医の頃から何も変わっていません。肩書きは変わりました。勤務先も変わりました。大学から開業医になりました。それでも、外科医としての原点だけは変わりません。

私は、手術が好きです。それだけは、これからも変わらないと思います。

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