- 8月 22, 2026
「なんだ、書いてあるやん」
これを書いていて「そんなもん、医学部受ける前、国家試験受ける前に考えとけや」という、もう一人の自分の声が聞こえます。仕方がないんです。お許しください。
こう考えるまでに28年かかりました。
色んな人がいろんな事を信じて、説きます。こちらの胸に響かなければそれだけのこと。ただの倫理の教科書の1ページ。誰々が何と言った、云々。まあ、そうか、という感じ。
先日から、アドラーの「共同体感覚」という言葉が刺さっています。これだ、って。
人はなぜ、「これはやってはいけない」「これしたい」「これかっこいい」「これは正しい」と判断するのか、そもそも、「良い事」の基準はどこから来るのだろう。
世間の評価を見ていても、「これするのは当然悪い」「この人は批判されて当然」という空気があります。でも、なぜそれが「当然」なのか。何由来?
そんな中で、ずーっと読まなければいけないと思ってきた稲盛和夫さんの『生き方』を読み始めました。そして、思いました。「なんだ、書いてあるやん」

稲盛さんは、27歳で京セラを創業したとき、経営について何も知らなかった。
何を基準に会社の判断をすればいいのかわからない。そこで、悩んだ末に、
「子どものころに教わり、大人になるにつれて忘れてしまう単純な規範」
「会社にとって、自分にとって得か」ではなく、「人間として正しいか」を判断基準にした。
これを読んで、私は共同体感覚そのものじゃないか、と思いました
アドラーが「共同体感覚」という言葉で説明したものを、稲盛さんは「人間として正しいこと」という、もっと素朴な言葉で語っているように見えます。
実は、昔から宗教でも、哲学でも、道徳でも、形は違っても似たようなことが繰り返し出てきます。

つまりこれは、人間が集団で生きていく中で、何度も何度も発見してきた知恵なのではないか。理解不能なお題目というよりは、サバイバルのための究極原則!?
そう考えると、「共同体感覚」というものが特別な思想ではなくなります。もっと普通で、普遍的で、人間的なもの。
また、重要なことは、それに従うと「気持ちいい」と感じるという事、少なくとも私が。気持ちいいのはなんで? 遺伝子? 教育? おそらく、単純じゃないでしょう。

古代からの記憶に、教育が加わる。さらに、成功体験から快感がもたらされる。
「ああ、やっぱりこういう生き方でいいんだ」。
患者さんにとって、スタッフにとって何がいいのか。
自分だけが得をする方法ではなく、筋が通っているのはどちらなのか。
いつも考えています。もちろん、いつもできているわけではありません。

腹が立つこともあるし、欲も出る。だからこそ、判断するための「ものさし」が必要。
「共同体にとって、それは正しいのか」。人に誠実に。困っている人がいたら助ける。
そして、そうやって生きることが、自分自身にとっても心地よい。
そのフツーの感覚こそが、人間。そう、これでいいんです。
