• 7月 21, 2026

非骨傷性頚髄損傷について 患者説明に必要なエビデンス

以前勤務していた病院で、60代の男性が受診されました。
単身赴任中、何かの拍子に四肢のしびれが出現し、歩けなくなったそうです。しばらく入院し、歩けるようになって退院されましたが、しびれが少し残っているため、「手術をしてほしい」と受診されました。
画像では頚椎症性脊柱管狭窄を認めました。しかし、この時点で急いで手術をする必要はありません。
私は、「手術の目的は今の症状を治すことではなく、今後同じような脊髄損傷を繰り返さないための予防です」と十分に説明し、手術予定を立てました。
ところが患者さんは、「4か月後にしてください」と希望されました。
さらに3か月ほど経った頃、「もう半年待ってください」と連絡がありました。
その気持ちはよく分かります。しびれがさらに改善してきていたのでしょう。「今の状態で本当に手術が必要なのか」と考えたのだと思います。

最終的には手術を受けられたと記憶していますが、このような症例を何例か経験すると、私自身、「脊髄損傷は手術で治すものではない」ということを強く実感するようになりました。
もちろん、すべての頚髄損傷が同じではありません。外傷の機序、画像所見、神経症状によっては緊急手術が必要な症例もあります。


交通事故で大きく跳ね飛ばされた、転落して頭部を強く打った、といった高エネルギー外傷とは別に、
頚椎症、椎間板ヘルニア、後縦靱帯骨化症(OPLL)などによる脊柱管狭窄を背景として、ごく軽微な外傷や頚椎の過伸展だけで脊髄損傷を起こすことがあります。
これを**非骨傷性頚髄損傷(SCIWORET:Spinal Cord Injury Without Radiographic Evidence of Trauma)と呼びます。

骨折や脱臼はありません。しかし、狭くなった脊柱管の中で脊髄が一時的に強く圧迫され、麻痺やしびれを生じます。

では、見つけたらすぐに手術をすればよいのでしょうか。
実は、この点については日本から非常に重要な研究が報告されています。
総合せき損センター(旧 九州労災病院)の植田尊善先生らは、全国11労災病院による多施設前向き無作為共同研究を行いました。
Frankel B・C、MRIで20%以上の脊髄圧迫を認める受傷14日以内の患者さんを対象に、
急性期手術群17例と保存療法群17例を比較したところ、神経学的改善は両群でほぼ同等でした。
つまり、
「急性期除圧術が保存療法より優れているとは証明できなかった」
という結果でした。
この研究は、その後2010年に Spine 誌にも英語論文として報告されています。
一方、その後発表されたSTASCIS研究では、「24時間以内の除圧術は予後が良い」と報告されています。
ただし、この研究には骨折や脱臼、不安定損傷などの重症外傷が多く含まれており、頚椎症性狭窄を背景とした非骨傷性頚髄損傷とは病態が異なります。


私は現在のエビデンスを総合すると、
非骨傷性頚髄損傷では、急いで除圧術をしても麻痺が治るわけではない
と考えています。
回復できる部分は、自分自身の脊髄が時間をかけて回復するのです。
手術が担う役割は、その回復を作ることではありません。
今後同じような脊髄損傷を繰り返さないために、脊髄を守ること。
これが手術の本当の目的です。


私は外科医です。
だからこそ、「急ぐ必要のない手術」を急ぐことには慎重でありたいと思っています。
もし急いで手術を行い、何らかの理由で症状が悪化したとき、「なぜ急いだのですか」と問われたら、医学的に十分納得できる説明ができません。
少なくとも現時点では、「急いだから良くなる」と言えるエビデンスはありません。
だから私は、患者さんには必ずこうお話しします。
「今すぐ手術をすれば麻痺が治る、と期待して手術を受けるのか。」
「将来同じことを繰り返さないための予防として手術を受けるのか。」
この二つは、似ているようで全く違います。
だからこそ、十分な説明を受け、患者さん自身が納得して治療方針を選択することが大切です。
私は、そのためのSDM(Shared Decision Making:共同意思決定)こそ、この病気では最も重要だと考えています。なんでもSDMですねえ。

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