- 9月 21, 2025
- 9月 22, 2025
理事長、といえば伊藤不二夫先生!
「理事長 伊藤不二夫先生」
先週、あいちせぼね病院の全医会理事長 伊藤不二夫先生とお食事する機会を頂きました。

何というか理事長は、あっ、理事長といえば伊藤不二夫先生なんです。私的には。(まあ、私も一般社団法人スピナレピオスの代表理事?ですけど。誰も知らんわね)
「内視鏡治療のトップランナー、そしてレジェンド」
いつも明るく、気さくに接していただきます。先生は50歳で開業し、毎日24時まで外来する大盛況。レーザー治療も大当たり。クリニックをどんどん拡張して60歳からPELD(今でいうFESS)手術を日本に取り入れ、これまた大ヒット。現在のあいちせぼね病院までどんどん拡張されました。手取り足取り指導するわけではないですが、理事長がPELDを取り入れたおかげでこの治療を習得された先生は日本中、世界中でかなりの数に上ります。そのDrが治療した患者の数も本当にかなりの数に上りますので、まあ、本当に偉大な人です。


「再生医療でもトップランナー」
現在はFESSの後進指導は勿論、脊椎以外の肩や膝関節の治療にも幅を広げてこれも大ヒットしているようです。そしてエクソソーム、PRP、そしてIPS細胞を使った再生医療にもかなり尽力されています。「どこまで先行くのー」という感じ。
「トランぺッター」
トランペット奏者としても一流です。2022年まで勤務させていただいていましたあいちせぼね病院では、病院の3階で当直していると4階の自宅で思いっきり理事長が吹かれるトランペットの音が、小さく聞こえてきました。外からではなく、階段などを通して中から。世間様はほとんど1から2階にお住まい、患者さんが入院しているのも2階ですので、誰の迷惑も掛からない。まあ、夢のようですね。最近は自らのホール、カフェを作るほど。
「内視鏡素人で受け入れていただいたあいちせぼね病院」
私は2019年4月から2022年8月までの3年間、あいちせぼね病院で勤務させていただきました。内視鏡を全く知らない状態で行きましたので、よく受け入れていただきました。2019年4月1日、勤務初日にあるDrが硬膜損傷を起こされ、武者震いしつつ顕微鏡で硬膜形成をさせていただきました。
「売り上げ」
自らの名前で手術を入れるとそのDrの売り上げに反映されるようでした。それは途中から知ったのです。それまでは他の病院で「売り上げ」という意識は全くなかったのです。はじめの数か月は全く売り上げに貢献していなかったのですが、途中からはどんどんオペ入れ、リハビリでも検査でもどんどん患者さんを入院受け入れして思いっきりやりました。直接的にはもちろん患者さんをよくすることなのですが、意識の上でモチベーションの上位は「手術技術、臨床経験」でした。売り上げは最後まで「後からついてこればいいけど、別に―」という思いでした。入職半年後からは売り上げでとても良く評価していただき、居心地の本当にいい病院でした。
開業後、お食事で理事長にお会いすると、「クリニックはどうだね」となります。月間売り上げを報告すると「きわめて優秀だねえ」と、いつも褒めてくれます。そういえば、開業当初、売り上げが今の半分以下だった時も「すごいねえ」とほめてくれていたような。もちろん突っ込みません。
「独身会」
理事長が夕方フラーっと医局に来られることがよくありました。なんとなくわかりますので、「行きましょー」、となります。しょっちゅうおいしいところに飲みに連れて行っていただきました。独身Dr.3人、既婚3人くらいでよく行きました。なぜかその集まりは「独身会」という名前で、本当に楽しかった。実は私は勝手に理事長のことを以前から友達だと思っています、心の中では。何というか、とにかく優しいんですよ。もちろん面と向かって礼儀は忘れませんが。
「理事長と1度だけ衝突」
一度だけ理事長とぶつかったというか、怒られたことがあります。2021年ごろに開業したいと申し上げた時は「実力あればそりゃあ開業したいわね。私も50歳で開業しました。もちろん全面的に応援します」と言っていただき、開業コンサルまで紹介していただきました。その後、患者であった不動産業者が「滋賀県なら病床確保15床は確実にOK」とのことで、それにつられて開業話が進みました。その後、何の疑問もなく土地、建物を選定、銀行の承認が下りて購入となりました。その後、理事長に報告すると、「まさか、買ったんか! 賃貸なら経費になるのに。返済は経費にならんやないか!」と怒られました。でも買っちゃったし。この言葉の意味が本当にわかるのはその後です。もちろん今も頻繁に噛み締めて、身に染みています。理事長は全く正しかった。
いつまでもお元気で、理事長。また飯食いに行きましょうね!