- 9月 7, 2025
良い診療、良い治療のために マインドフルネスの入り口は仏教
2025年9月6日 土曜日 朝
漢方には興味があったけど、どんな講義を聞いても全く頭に入らなかった、15年くらい。それが新見先生、冨澤先生の本が読みやすくてすっと入り込めました(せぼね、関節、神経、頭痛に効く漢方 | 淡海せぼねクリニックブログ
)。全く知識が浅はかなのはわかっていますが、以前に比べたら天地の差です。
同じようなこと、いわゆるブレイクスルーが起きました。ずっと知りたいと思っていた仏教です。そうは言ってもこれはただのコラムです。書籍ではなく、講演でもないので、評価のハードル低くお願いします。間違っている事ばかりだと思います。私が読んでそう思ったよ、という程度です。まずは少し入り込むことが大事。

元々仏教は哲学であり、宗教ではないので「2500年前のブッダさんの考え方」です。
少し前振り。
マインドフルネスに興味を持ったのは心をコントロールできていない自覚があるから
相手が明らかに悪ければ簡単だが、困って来てくれていることも確か。
ほとんどの場合、「そうなんだねえ」と理解できる。
時に言いがかり、応えられない要求、時間をかけても理解が得られない、決めつけ(私にとって)をされることがある。うまく看護師さんや周りの力を借りられればセーフ。反応すると自己嫌悪。頭の中で数日その事が居座る。所詮は仕事、と割り切ればいいのですが、入り込んでしまうので、客観視は難しいのです。
すぐに最近の外来での具体例が3個くらい思い浮かびます。本当にカバーしてくれる看護師さん、みんな、ありがとうね。
具体例1:
「90歳になるので骨粗鬆症の薬をやめます、効果を感じないので」
「えっ?」よく話を聞くと、内科のお薬が増えて困るので、減らしたいという事でした。先日書いたフレイルのコラムを読んでくれたのではないか(私が注目していなかったことが大問題! | 淡海せぼねクリニックブログ)90歳の人が骨粗鬆症の薬を飲むことが正しいかどうかは議論の的ではなかったのに、最初にそのことを言われるとまじめに反論したくなってしまう。
気を取り直して「中止するという事をわざわざ言いに来てくれてありがとうございました」:一応セーフ

具体例2:
「片頭痛で毎日トリプタンを3錠飲んでいます。出された予防薬は全く効果がないです。注射薬は絶対に使いたくないです、効果なかったら怖いので」
「トリプタン3錠はかなりマズイです。注射薬を1回、試してもいいのでは?」
「もういいです!(怒怒怒、涙涙涙)」
「?」→看護師さんにタッチ 少し遅かったが、新たな処方を試すことに。看護師の力です。 後で考えると、お金の問題もあったのかもなあ、はっきり言わないだけで。
具体例3:
元々、情緒不安定な方。心療内科でコントロールがついてしばらくよかったが、今回、あることでご気分を害して他院への紹介状を希望、という事で受診。
「きっちり詳しく書いてくださいね!」(えっ、いいんですか?)
マイペース、自分の心を取り戻したい、整理したい:マインドフルネス?
マインドフルネスという言葉を作ったジョン・カバットジンやグーグルのSIYプロジェクトの本を読もうとするも、ちょっと違う? なんかテクニカル? 読めない なんかダメ
そもそもマインドフルネスって仏教の禅から宗教色を取り除いたものではなかったか?
仏教には10年以上前から興味があり、いろんな本を読みましたが、全然頭に入りません。ほとんど覚えていない。そういえば仏教ってどんなんだったっけ、基本? そこで本屋さんに行きました。
「反応しない練習」 草薙龍瞬
あるのはいつも見ていましたが、手に取ったことはほとんどなかったものでした。
今回は面白く、はまりました。連続で4冊読みました。そう、お盆はこの人の本ばかり読んでいました。

同じ内容を違う本では、いろんな相手を想定し、違う言葉で説明してくれています。

「人生は苦しい。それには原因があり、取り除く方法がある」悪魔とか亡霊とか神とかお賽銭とか全く出てきません。
つまり、「悩み、ストレスは整理して対処すれば解決できる」という事。(四聖諦、集諦、滅諦と言われると頭に入らないが、この言い方なら入ってきた)ビジネス書みたい。
何不自由なく快に満たされた生活のブッダが気付き、修行を始めようと思ったのは、実は世界が「苦」で満ちていることに気づいたから。まずこれが基本。苦しいから対処したくて哲学を求める。何しても際限なく楽しくて仕方がなかったらブッダ必要ないもんね。
苦の原因は生老病死、すべて苦しい。この本で取り上げている、つまり現代で特に問題となっている苦の原因、キーワードは「承認欲」という人間にしかない欲求。「自分を認めてほしい」「注目してほしい」「評価してほしい」「自分は偉い」「自分は正しい」(相手は間違っている)。
「承認欲」が満たされないと「怒り」、そこに「妄想」が加わると三大煩悩である貪瞋痴(とんじんち)がそろいます。これらは常に複合的に働きます。

勿論、眠れない、おなかすいた、どこか痛い、も苦しいですが、精神的な悩みやストレスは、反応の種類として分類すると3つに収れんされるのです。この3つに整理することをラベリングと言います。ラベリングすると既に半分解決されています。

動物にはない、人間にしかない「承認欲」に突き動かされて、満たされずに怒る、そして妄想が広がり、どつぼ。対策は結構シンプル。大事なのは気付くこと。

- 相手を批判、判断したくなったら→「これ、自分は正しいと思っている、つまり承認欲」。承認欲にとらわれていると気づいたら、慈悲喜捨、お役にたてればよし、に価値を置くことを思い出す。承認欲はどうでもいいの。
慈:相手の幸せを願う
悲:相手の苦しみを理解する
喜:相手の喜びを理解する
捨:手放すこと、欲、怒りという反応をストップする
- 相手のコトバ、態度に怒りを感じた→「はい反応していますね。そもそも判断するという事は自分を正しいと証明したい=承認欲。理解するだけでいいのです。」。
- 相手が何かつっけんどん、思った反応ではないときに不安になる→「はい妄想!見つけました。今ここ以外はすべて妄想!」
実際にはいろいろ考える必要があることもあるが、ある程度以上は考えない。「妄想」、と決める。妄想から離れるのに役立つのがマインドフルネス。たくさんマインドフルネスの本を読みましたが、やっと入り口、前提に立てたかもしれません。(まあ、実際には瞑想ってほとんどできていません。瞑想するにはしっかりとしたTo Doリストができていることと、十分な睡眠がいりますよね。だってやるべきことが思い浮かぶし、眠くなっちゃうう。)
実際にマインドフルネス的に出来ていることは、食べるときに携帯とか余計なことをしない、他ごと考えない、なるべく箸をおいて、かみしめて味わって作ってくれた人を思う。
散歩中に仕事の悩みが思い浮かんだら自然の風景、川の音、足裏の感覚に戻る。
本気で妄想を跳ね飛ばしたいときには千歩禅、これは唯一できている感覚があります。一歩一歩数えながら千まで間違えずに歩く。結構できませんよ。だいたい500歩か600歩くらいで他の事思い浮かびそうになります。1から10の二けたはリズムで数えられるが、それが400台なのか500台なのかわからなくなる。指折りもしながらですが、心持っていかれるとすぐにわからなくなります、意外に。そしてゼロから再開する。信号があっても結構大変。知っている人がいたらもうだめ。何もないシンプルな道で集中すると、すぐにできる。こういう事か。

4冊読んで頭の中で浮かんだ図がこれです。人生の目的という川が右に向かってさらさらと流れているが、左下は煩悩の渦に巻かれて動けない人。一方、右上は正しい考え方という船に乗ってスーッと右に流れていく人。
右上の人になれば「上がり」で楽になるように思えるけど、そんな簡単じゃない。退屈もするしね。人生は誘惑ばかりで川のうずに落ちては這い上がり。毒は誘惑の顔してこない、みんな優しいいい顔して船から引きずり降ろそうとしてくる。まあ、渦に巻かれても右上のような状態があることがわかっていれば少しずつ這い上がれる。落ちそうになったら、やばいやばい、と思える。戻れる船さえあれば安心。

この図でもう一つ大事なのは、落ちたり船の上に戻ったりしますが、川全体としてはゆっくりと方向性に従って流れているという事。仕事、人生でうまくいかないことが数%でもあったとすると、「自分は悪、いないほうが良い、嘘をついている」とまで思う事があります。手を抜いてやっているのなら納得いくのですが、あそびなく、ほぼ全力です。具体的に反省はしますが、「全体的にはいい方向に流れているはずだ」と思い返せる。全否定はしない、という事。
さて、9月に入りました。淡海せぼねクリニックでは看護師さんを中心に片頭痛も頑張っていますが、基本は内視鏡脊椎手術。今週はヘルニアに多するFESS手術、狭窄症に対するFESS、そして骨のごつい狭窄症の1例はMEL手術を。骨粗鬆性椎体圧迫骨折に対するBKPセメント手術、通常の全身麻酔手術の前の時間を使って、朝早くから腰椎椎間関節リゾトミー手術も行いました。9月に入ってからなのか、手術希望の患者さんがめちゃくちゃ増えました。1例1例、しっかりと取り組んでいきます。
スタッフのみんな、よろしくね!